台所、風呂、トイレ等の掃除方法の紹介、快適な暮らしに必要ないろいろな掃除方法がたくさんあります。
鋼の婚約者 4ロイは1つの事を心に決めた。
エドワードとはなるべく接触を図らない。
その上で、手早く父と連絡を取って説得し、早々にエドワードにはお引取り願おう、と。
もともと会話が成り立たない人形相手だ。
フェミニストだという自覚もあるし、周囲からも女性に優しいと言われ、女性には優しくすべきだろうという認識を持っているロイにしてみても、エドワードという名の人形は、荷が勝ちすぎるのだ。
なるべく関わり合いになりたくない。
あんなにも無表情で無感情な少女を、何故あの父が気に入っているのかも、分からなくなってきた。
父は面白い事が好きだが、つまらない物事には酷く冷淡だ。
あの少女を指して何処を面白いと感じろと言うのだろうか。
父の考えが、28年の人生の中で、今が一番理解不能だ。
「大佐、あまりに邪険に扱われない方がよろしいですよ。その少女も、いわば被害者のようなものなのでしょう」
あまりに執務室でため息を吐く上司を思いやってか、それとも鬱陶しいと感じたのか――明らかに後者だろう――、副官のホーエンハイムが、見事にロイの杞憂の元を見抜いて、アドバイスを呈してきた。
「被害者って…まぁ確かに父の被害者ではあるだろうけれどな――」
突然家を追い出されて、14歳年上の男の家へと住まわせられた少女の話は、女性であるホークアイにとっては、その少女にこそ同情する類のものらしい。
それでなくともロイの女癖の悪さや日々の華々しさを嫌と言う程知り尽くしている副官だ。そんな男の相手に、と強要された少女に、同情心も沸くのだろう。
エドワードの件について話した時は、まず『婚約者という立場を良い事に、14歳の少女に無理を強いたりなどしたら、即刻撃ち殺させていただきますから』と脅された。
「被害者なら被害者同士、意思を1つにして父への抗議だ何だと協力したいよ。意思の疎通も出来ないんだ、ただのお荷物でしかない」
「……大佐にしては、酷い仰りようですね」
女には無条件で鼻の下を伸ばしてフェミニスト振りをアピールするのに、と冷たい副官の瞳が言っていた。
14歳の少女とは言え、女性を『お荷物』と称するロイの口振りに、驚いているのだろう。
「言いたくもなるさ。あれでは彫像か観葉植物と同じだ。笑いもしない、泣きもしない怒りもしない、あげくの果てに喋りもしない。――そして何をするでもなく、日がなただボォッとしているだけ。……自宅に、親しくも無い、そんな薄ら寒い存在が居るかと思うと、気が滅入る」
観葉植物や彫刻の方がまだマシだと、ロイは憤るような声で断言した。
あまりの言い様にホークアイも眉を顰めたが、それでもロイの気持ちも汲んだのだろう。
確かに、自分のテリトリーとも言うべき自宅に、そんな存在が居ては、居心地の悪いどころの話では無い。
「とにかく、一刻も早くあの愉快犯を捕まえる」
「まだお電話は繋がりませんか?」
「中央に居るヒューズにも協力を要請しているが、芳しくない。無駄に中央銀行総取締役なんて役職を持つ男だけに、軍事力で拘束も出来ないからな」
実の父親相手に拷問でもしようかと企んでいるロイを見て、ホークアイは呆れる。
けれど、あの父親はどうやらロイの行動を見越して、雲隠れでもしているようにしか思えないのだ。
ヒューズの集めた噂によれば、仕事の取引のために国外に出ているのでは、最近総取締役の姿を見ないなと、父の会社の社員が話しているらしい。
国外逃亡されたとなっては、アウトだ。
いつ帰って来るか分かったものではない。
父を見つけ出すのが先か。
それとも、堪忍袋の緒が切れて、エドワードを自宅から叩き出すのが先になるか。
弱冠、後者の方が我慢の限界に来ているのだ。
その中で唯一ストレスの捌け口となるのが、職場でのハボック、フュリー苛めと――フュリー苛めに関しては、見つかるとホークアイに怒られるので、こっそりと、だ――、エドワードのためにと雇い入れた家政婦のエミリアだ。
頃合も昼近くと、そろそろ休憩時間だ。
執務机の上に、今朝エミリーから手渡された包みを出す。
すると、決裁済みの書類確認をしていたホークアイがその包みに気付き、「そちらは?」と尋ねて来た。
「お弁当、だそうだ。――家政婦が持たせてくれた物だよ」
苦笑して、包みを開ければ、そこには赤い弁当箱があった。
私の昼食は気にしなくて良い。司令部の食堂で食べる、と最初から言っておいたのだが、今朝、エミリアは「作ってしまったので、是非」と言って、ロイにこの弁当箱を持たせたのだ。
弁当など、何年振りの響きだろうか。
学生時代、母に作ってもらって以来、お目に掛かった事も無い程だったかもしれない。
それでもエミリアははにかみながら、「どうぞ」と差し出して来たのだ。
そこには確かに、ロイへの好意が見え隠れしていた。
鈍感なわけでは無いが、ただの、エドワードのための家政婦と思っていた女性からそういった情を渡されていた事にようやく気付き、ロイは咄嗟にまずったなと思った。
もう数週間、この家で共に暮らしているのに、気付かなかった。
自分に好意を寄せている女性を、仕事とは言え家に上げ、そして住み込みで雇ってしまっているのだ。
女性との面倒事には細心の注意を払っているロイである。
遊びと割り切った女性――いわゆる、そういう筋の商売の――としか基本的に夜遊びをしないという心持ちだったと言うのに。
それでもロイは、エミリアから手渡された弁当を受け取っていた。
大分、ロイの心は疲労で磨り減っていたようだ。
突然押し付けられた婚約者によって。
自宅に帰れば、会話の無いエドワードが居る。けれどその反面、エドワードの分もあの家に賑やかさを齎してくれる、明るい笑顔が売りと言わんばかりに精力的に働いてくれているエミリアに、癒される部分もあったのだ。
だからこそ、エドワード同様、また違って意味でエミリアと深く関わってはいけないとは思いつつも、磨耗していたロイにとって、手作りの弁当という暖かさを持った物は、何故か拒否するのが難しかったのだ。
「…手作り…ですか」
普段、司令部に差し入れされる、マスタング大佐宛ての手作り弁当になど見向きもしない上官が…と、ホークアイは戸惑っているようだった。
ロイ自身も、自分の行動に驚いているのだから、無理も無いだろう。
弁当に向けていた苦笑をそのまま副官に向けて、軽口を叩いてみる。
ただ家に居るだけで、何もせずに、息さえしているのか分からない程静かに暮らしている婚約者殿。
それに引き換え、少女の世話を頼んだと言うのに、給料外のロイの弁当まで作ってくれている、家政婦。
「どちらが婚約者か、分からないな、これでは」
鋼の婚約者 2
エミリア・ヴェルナンドの料理は正直言って、かなり美味かった。
最初こそ、卵が半生すぎる――ロイは固ゆで派だ――や、煮物の味付けが薄すぎる等々の些細な不満はあったものの、時が経つにつれてそれらの食事は見事ロイ好みへと改善されていき、本日の弁当に至っては、全てがロイの好みに合った味付けで、文句の付けようも無かった。
帰宅の際に、空になった弁当箱を出迎えたエミリアに渡しながら「美味しかった。ありがとう」と言えば、エミリーは頬を染めて笑う。
本当に、これではどちらが婚約者だか分かったものではない。
エドワードの場合、どちらにしろ何もせずに日常をただ呆然と過ごしているのだろうが。
エミリアに対して、君の作った煮物が塩辛い、温かいトマトは嫌いなどと、言った事も無く、またそういった食事が出た時に残した事さえも無いと言うのに、エミリアはロイが苦手にしている物を、一度出したらそれ以降、二度と食卓へと出した事が無いのだ。
箸を運ぶロイの様子でも窺っているのだろうか。
どちらにしても、ロイとしては自分好みの料理に文句を言う事も出来ず、更に、そんな風にして気遣ってもらえているのだという事に、幾ばくかの嬉しさは感じていた。
それほど人の優しさに飢えていたのだろうか…と自問自答してしまう程、エミリアの気遣いは身に染みたのだ。
その食事にしても、夕飯はエミリアと向かい合って食べるのが日常となっている。
もちろん、ロイが無事に夜、エミリアが就寝する前に自宅へ帰れた時のみだが。
エドワードはエミリアが最初に来た日以来、夕食時にリビングに降りて来る事もなく、2階のゲストルームで1人食事を摂っている。
エミリアの話では、エドワード自身が、『食事は1人で摂りたい』と望んでいるのだそうだ。
雇われ家政婦のエミリアも、そう言われてしまえばエドワードに無理強いする事も出来ず、きちんとお昼も夕食も、お食事は運んでいますから、と申し訳なさそうに笑っていた。
彼女が悪いわけでは無いのに、そんな表情をするエミリアに、ロイは「気にする事は無い」とだけ、言った。
いい加減、エドワードの態度に腹も立てているのだ。
ロイと顔を向かい合わせて食事を摂りたくないと言うのなら、それはそれで良い。
ロイとて、いくら美しいとは言え、あんな機械人形のような少女と、美味しい食事を気まずい空気の中で食すなど、まっぴらである。
ただ、ロイに対してもエミリアに対しても、もう少し会話をしようという努力を見せろと、思ったのだ。
「エドワードは今日も篭りきりで?」
スープを口に運び、一応の同居人の、本日の様子を尋ねる。
するとエミリアは気まずそうに笑い、「…はい」と答えた。
エミリアにしても、ああも扱い辛い少女と日中2人きりにさせられるのは、気まずいものがあるのだろう。
エミリアに対して、ロイは罪悪感を覚えずにはいられない。
自分のせいでは無いのだが。
「君が来てから、外出もしないだろう。家の外に出たりはしないのか?」
「私が気付いた限りは――。ただ、お部屋で過ごされているようです」
ただ飯喰らい、というあまりにも酷い言葉がロイの頭に浮かんでしまっても、仕方が無いと言えよう。
本当に、何故エドワードは頑なにこの家に居続けようとしているのか。
まったくもって理解できない。
もう、東方の言い伝えにあるという座敷童子か何かだと思って諦めてしまった方が良いのかもしれないと、思い出した。
相当疲れているのだと、認めざるを得ない。
「…あの、マスタング様」
「ん?何だい」
エミリアの呼び掛けに、ロイはスプーンを置いた。
すると目の前に座るエミリアは、気まずそうにしながらも、ロイの瞳を見返してくる。
エドワードとは対照的な黒髪。瞳も、その髪と同様に黒いのかと思っていたら、エミリアの瞳は、アイアンブルーだった。
思わずロイは、その瞳を見つめてしまう。
「エドワード様とマスタング様は、婚約者…とお伺いしたのですけれど…」
家政婦として雇うという事から、一応エミリアにはマスタングの素性と――説明しなくとも、元から知っていたようだが――、同居人のエドワードとの関係を、簡単にだが説明している。
住み込み始めてから今まで、特にエミリアからエドワードの事を質問された事は無かったが、確かに同じ屋根の下に住んで、ロイとエドワードの事を見ているのだから、その関係がとてもではないが『婚約者』とは言えないものだと、エミリアも気付いているのだろう。
聞いてしまっても失礼では無いのだろうか、けれど気になる。
という気持ちを瞳に乗せて、エミリアはロイの様子を窺っていた。
普段ならば、そういった己に向けられる好奇心や、素性を探るような視線は嫌悪の対象として切り捨てるロイだが、さすがにエミリアを無下にできるはずも無かった。
彼女じゃなくても、ロイとエドワードの関係は気になるだろう、と思ったからだ。
『一応の婚約者』だと言っているのに、顔を合わすでもなく、一切会話をしないのだから。
それに何と言っても、ロイは29歳で、エドワードは14歳の未成年だ。
ロイは苦笑して、エミリアを安心させるように、微笑んだ。
「婚約者と言うよりも、彼女が私の父の養い子…と言った方がしっくり来る気がするよ。――そんな父が強引に、私達を婚約者と決めてしまってね。婚約を解消するよう父を説得するまで、彼女を預かっているだけに過ぎない」
あんな機械人形のような少女に好意を持っているなどと、第三者に思われるのも真っ平だったため、ロイはエドワードの事を困っているのだという事を伝えるように、ため息をついた。
そうして食事を再開すれば、ロイの言葉を聞いたエミリアは「は、ぁ…」と納得したのか、より困惑したのかよく分からない声を出した。
けれど、それ以上の説明の仕様が、ロイにも無いのだ。
「…マスタング様は、エドワード様の事を――」
「勘違いしないでもらいたいが、私は14歳の少女に対して恋愛感情を向ける趣味は無いよ」
エミリアの言いたいだろう事を汲み取って、先回りするように、ロイはきっぱりと否定した。
幼女趣味と思われては堪らない。
更に、エドワードが見てくれだけは類を見ない美しさを誇っているだけに、余計に犯罪めいた気配を醸し出すのが、また悪い。
決して自分は特殊嗜好を持っていないのだと、家政婦としては立ち入りすぎた質問を口にしようとしたエミリアに、釘を差すように宣言する。
「申し訳ありません、少し、気になってしまったもので……」
ロイの、僅かに滲み出した怒りをエミリアも感じたのだろう、恐縮したように、肩を小さくして、雇い主であるロイに詫びた。
確かに立ち入りすぎた質問を彼女は口にしたが、それでもこういった感情ある態度を見せられると、許せてしまう。
話しかけても感情を見せず、冷たい沈黙だけが場を支配するよりも、ずっとマシだ。
そう考えていたロイの耳に、予想だにしなかった呟きが、齎された。
「エドワード様から、マスタング様が……その、決して幼い女性に好意を持つ方では無いのだと、伺ったもので…。それでも14歳のエドワード様とご婚約されているので、お2人は本当に愛し合っているんだなぁって、思っていたもので……」
「――は?」
眉を顰めて、ロイはエミリアの呟きに反応した。
するとそれを怒られたと勘違いしたのだろう、エミリアが慌てて「申し訳ありません」と再び頭を下げた。
いや、ロイは別に怒ったわけではない。
怒ったわけではなく、自分の耳が信じられなかったのだ。
「いや、エミリア違う。――君、エドワードと会話をするのか?」
エドワード様から伺ったもので。
そう、エミリアは言ったはずだ。
驚きのままに尋ねれば、エミリアは「え、はい…」と、ロイの様子に圧倒されながらも、肯定を示した。
エミリアには申し訳ないと思っていたのだ。
日がな1日、ただぼんやりしているだけの少女の世話を申し付けて。
会話などあればまだマシかもしれないが、日中はそんな少女と家に2人きりなのだから。
そして、エドワードのロイに対する態度同様、きっとエドワードはエミリアとも視線を合わせようともしないのだと思っていた。
エミリアからは、「エドワード様は今日もお部屋に篭りきりで…」と毎日報告を受けていたし、ロイはエミリアとエドワードが話している場面など見た事が無かったのだから。
だから勝手に、エドワードはエミリアと会話などしないのだと、思っていた。
「確かにエドワード様はお部屋に篭りきりですけれど…、それでも日に何度かは出て来られます。偶に、お庭に出ている事もありますし」
それでも、部屋に篭っている比率の方が断然に多いのだろう。
だから今まで、エミリアはそういった事をロイに告げなかったのだ。
ロイもロイで、真剣にエドワードの一分一分の行動を説明させる気も無かったし、聞く気も無かった。
毎日、ただ義務のように「今日のエドワードは?」と帰ってきて尋ねるだけだったのだから。
けれどよく考えてみれば、いくら感情が欠落しているからと言って、人間が部屋に四六時中ずっと篭っているわけが無い。
用を足しに出てくる事もあるし、気分転換に庭に出たりもするだろう。
「エドワード様がお庭に出ている時に、『良いお天気ですね』と声を掛ければ、『そうだな』って返してくださいますし…、確かに口数の少ない方ですけど、会話ぐらい、なさいますよ」
どうして、エドワードと会話をするくらいでそれ程ロイが驚くのか、エミリアは理解できないようだった。
戸惑いながら、ロイの質問に答えていく。
エミリアにしてみれば、ロイとエドワードが全く会話を交わさない事の方が、異常なようだった。
今日1日、エドワード様はこんな言葉を口にされました、といちいち報告する必要性も、エミリアには感じられないのだ。
それが、ロイにとってどれ程驚きに値する事であっても。
「……いや、驚いたんだよ。エドワードは、私とはまともに会話もしてくれないのでね」
やはり、年近い女性だから、気安いのだろうか。
どうやらロイに対するよりは断然、エミリアに心を許しているようだ。エドワードは。
他にはどんな事を話しているんだい?と聞けば、エミリアは戸惑ったように、そんなに多くお話するわけでは無いんですが…と、本当にその日の天気の話だったり、夕食の話だったり、他愛の無い事ばかり話しているようだった。
大抵はエミリアが話しかけて、それにエドワードが答える、といった感じらしい。
それでもロイは、あのエドワードがエミリアに対してそういった態度を取っている事に驚いたし、エドワードに対する嫌悪感も、少しは薄らいだ。
「エドワード様は、とっても優しい方ですよ」
はにかんで、エミリアはそう言う。
あの無表情の人形を指して何処が優しいのかはロイには理解できないが、エミリアにとっては、雇い主の身内――エミリアから見れば――を貶してはいけないからというリップサービスの類では無い事が、彼女の微笑みからは読み取る事が出来た。
エミリアは、本当にエドワードの事を優しいと、そう思っているようだ。
女性は不思議だと、この時ほどロイは思った事が無かった。
何を考えているのか分からないエドワードにしてみてもそうだし、そんなエドワードを優しいというエミリアの考えも、ロイには理解不能だった。
けれど、安堵のため息が洩れるのも事実だ。
彼女達がお互い、嫌な気分を感じていないのならば、それで良い。
特にエミリアに対しては、罪悪感が薄らいでいく気分だ。
「――そうか、それは良かった。…これからも頼むよ、エミリア」
口に運んだスープは、やはり昨日よりも更にロイの好みに合う物だった。
££££
久方ぶりの休暇で、国家錬金術師の査定も近い事から、ロイは書斎に篭っていた。
家にはエドワードも、またエミリアも居るはずだが、この部屋への入室は両人に禁じている。
エドワードはたとえ立ち入り禁止を命じられようが、命じられまいが、錬金術の専門的な書物が所狭しと並べられただけのこの部屋になど興味は無いだろうし、エミリアにしても、読んだ所で理解する事も出来ないだろう。
それでもこの書斎は、国家錬金術師、『焔の錬金術師』の工房とも言うべき、神聖な場所なのだ。
たとえこの蔵書の価値を分からない、理解できない人間だとしても、足を踏み入れてはもらいたくない。逆に、この蔵書を見て感嘆の声を上げるような人間には、ロイが苦心の末集めた書籍やロイの研究結果を見せるなどという事は、もっとしたくないが。
パラパラと必要箇所のページを捲り、レポートの骨組みを作っていく。
大佐としての仕事もこなしながら、日々新しい錬成陣――つまり練成理論――を作る事にも余念は無い。
軍人の仕事とは別に、国家錬金術師として、国費から莫大な研究費を貰っているのだから、それは当たり前の事だと、ロイは思っている。
ここにある蔵書も、ロイが得意とする気体関係の書物ばかりでは無い。
錬金術に関する事なら、大抵の分野の貴重文献を揃えている。
いつ何時、軍からどういったタイプの錬金術を所望されても良いように、一通りの研究は重ねているのだ。
その中でも、専門的に造詣を深めているのは、気体に関する事だが。
そうしてふと、今まで忘れていたわけではないが、記憶の片隅に押しやっていた事柄を、思い出した。
開かれたページの中央に描かれている、錬成陣。
――そういえばエドワードは、あの光のホーエンハイムの娘だったか――
『婚約者』の件があまりに衝撃的で、頭に血が上っていて、すっかり忘れていた。
国家錬金術師に匹敵する――いや、もしかしたら国家錬金術師よりも高位に位置するかもしれない錬金術師を父に持つ娘。
光のホーエンハイムと言えば、生体練成の第1人者だ。
今持っている書物が生体練成理論を展開しているページを開けていたので、不意に思い出した。
ロイも、『放浪のホーエンハイム』『光のホーエンハイム』と呼ばれる彼の存在に憧憬を持つ錬金術師の1人だが、エドワードが彼の血を受け継ぐ者なのだという事を、忘れていたのだ。
改めて、エドワードはヴァン・ホーエンハイムの娘であり、ヴァン・ホーエンハイムは妻と息子を亡くした男なのだという事に気付いた。
そしてそれで言うなら、エドワードはあの若さにして母と弟を亡くし、父は行方不明という身の上の少女なのだと、思い出す。
しかしホーエンハイムの娘だと言うのなら。
高名な錬金術師の血を引く者だ。錬金術を扱う事は出来るのだろうか。
今まで錬金術に関して話した事は無かったが、もしかしたら彼女は父親の影響で、少しは錬金術を齧っているかもしれない。
無いとは言い切れない話だ。
錬金術の権威とも言われた男の娘なのだから、幼い頃から錬金術と触れ合って育って来たという事も、考えられる。
http://blog.goo.ne.jp/togenkyo_001/e/0f9e1244da41eee30eee0eb8686862be