台所、風呂、トイレ等の掃除方法の紹介、快適な暮らしに必要ないろいろな掃除方法がたくさんあります。
Wikipedia Administrator - 山川出版 高校教科書先週は、奥さんの要望で2度のランチに連れ出されましたが、どちらも楽しいものでした。
一つは、キタさんという奥さんの幼なじみの方とのランチです。筆者が海外に滞在していた頃、遊びに来てくれ、女性
らしら?を感じさせない気さくさとその男らしい?親分肌に親しみを覚え、話していてもあまり、気を遣わなくてすむ
気安さから帰国後も何回か食事を一緒させていただきました。
旦那さんとともに金融機関に勤務されていますが「昇進」されたとのことでそのお祝いを兼ねてテラスのある
イタリアンレストランでの食事でした。
話しも弾み、3時間ほど3人で涙がでるほど笑いっぱなしのランチでしたが、始めて訪れたレストランのピザが旨く、
気候もよかったことから楽しいランチとなりました。
もう一つは、奥さんの料理教室の関係者が主催した神宮前の神社の隣地の開発地区にできた「地産」ものを厳選したレストランで
30歳そこそこのひとつ星日本人シェフがプロデュースしたというレストランでのランチです。
偶然、ニースのシェフが帰国中でしたが、そのレストランを仕切っているのは、いずれも30歳前半と思しき、
エグゼクティブシェフ・支配人ほかでした。料理の最中
いくつかのレシピ説明、厨房見学もさせていただき、ペティナイフの妙技も見学できましたし皆さん気取ったところもなく
丁寧穏やかで理知的な話し方をされる若い方達で「真面目な志」を感じさせてくれ明るい気持ちにさせてくれました。
正直にいうとフレンチは苦手です。ワインは好きなのですが最大の理由は「長時間の食事」ということです。
若い頃はバブルの頃で目的の女性との食事という道具と割り切ることで、時間はそれほど苦にならず見栄っ張りにフレンチ
ばかりに誘っていたような記憶がありますが、結婚し歳をとりもともと早食いなので、フルコースの間を持たせること
が苦痛に感じるようになってしまいました。
同様に料亭での懐石というのもまるっきりだめになってしまいました。
「たまにはフレンチでゆっくり食事」という奥さんの要望に応えることは最近はまったくありません。
「フレンチ」「懐石」の体力と「淡白な生活」の相関を予想させますが、本題ではないので機会をあらためて。。
今回のフレンチは、途中のレクチャーや見学をはさんで5時間のランチでしたが料理のレベル、ワインセレクトのレベルが
高かったことと場を和ませる主催者の配慮もあり飽きずに楽しく食事ができました。
前のファームのロンドンでの失敗プロジェクトで関わりのあった「整理術」の本が売れたアートディレクターが家族で
食事をされてましたが、シェフと知り合いなのかレセプションの照明についてアドバイスをされていました。
「職業根性」が薄れてきた筆者には照明の角度なんかより「乳児にフレンチ?」のほうが興味がそそられましたが。。
先週、書店で偶然見かけた30年前から変わらないカバーの色に「これってもしかして、山川?」と思い手にとってみると
案の定、筆者が高校生の頃使っていた山川出版社の高校教科書を社会人向けにモディファイした世界史と日本史で、
懐かしさから2冊を手にとり、レジに向かいました。
筆者の頃は、共通一次試験という入試制度の頃で、受験科目として選択した社会系がそれぞれの歴史です。理系でしたので
高校時代は、成績が良かった順に物理・化学・生物・地学を授業でとっていましたが、受験では物理と化学を選択しました。
30代後半になって後悔したことは、「高校の歴史の教科書をどこかに保管しとけばよかった」「大学の統計学の本だけは、
売っぱらって酒代にするんじゃなかった」というのがありました。
失ったものをやっと取り返したような気持ちで読みましたが、「山川は変わらず山川」という確認とともにどちらも
社会人を意識してか現在にページを割いており、期待した古代・中世・近世がかなり端折られていて肩すかしをくらった
という印象です。もっと記述が充実していたずです。巻末に執筆陣の記名がありますが、さすがに故人も増えました。
筆者の高校時代と歴史評価が変わったのかもしれませんが「小泉」と「オバマ」の記述は必要ないでしょう。
執筆「陣」というのが、なかなか難しい問題で、筆者は多数の委員のコンセンサスをもとにした精査の結果がひどく
つまらなくなるというボランティアベースの協会の仕事というのをいくつか見聞きしてきましたが、科学という比較的
白黒の分かりやすい学問に比べ、歴史という曖昧で推定的学問では「多数決」というのは結局は、「何の情報」も提供して
くれないと考えています。
世界で最も有用で正確な百科事典を目指しているWikipediaは、たまに調べものの一時情報として使っていますが、最近編集委員
もしくは、監視員から文末に「誰が」とか「いつ」「出典は」とかの目障りな青字コメントが多く、かえって窮屈で信頼性が低く
なって来たように思えます。
今週のTimeにも記事がありますが、いくつかのスキャンダルな記述の放置や「編集合戦」と呼ばれる事件から編集者を
限定しているようです。かなりのボランティアが離れているようです。
百科事典ではとりあげないような些事についてのかなり気合いの入った記述や誤述、その寛容さが魅力と思っていたのですが、
かたぐるしくなるだけ、ユーザーも離れるし魅力も薄れていくでしょう。
選定・限定されたAdministratorはいつも正しい訳がなく、かえって保守化・硬直化すること、なんらかの権威をもつことに
対するネットユーザーの直感的な嫌悪感を増大させるだけでしょう。
ボランティアベースで、自己の記述がプロジェクトに反映されるという満足感と編集者の監視。。
匿名を排したプロジェクトの模索もあるようですが、選ばれた人間のコンセンサスは情報の価値という面では、有用でも
正確でもなくなるというあたりまえの結論のようです。
Wikipediaは、百科事典学という学問だったのでしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/s_tera_p/e/74df33908ebb7db7a98faa60b4879fc8