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09-08-01 #3貴方が自分の命を犠牲にしている事を見ている時、それが老衰にしろ大きな怪我にしろ、貴方は修正されるべきものを見ています。 それは{老衰/怪我/その他は}貴方の起こした事であり、貴方はそれを取り消す事が出来るのです。
修正する為にするべき事とは、聖なる瞬間に入りそこに浸る事です。 それは貴方が思考を放棄した「場所」ですが、貴方は意識を放棄した訳ではありません。
そして貴方は、全てを作ったものを知りたい(その真実を知りたい)という好奇心を持つ事によって、全てのものが意識的気づき(Conscious Awareness )として存在する事を自分に許可します。 何故なら、貴方が神の子供で、全てを作ったものの表現{具現化された神}が貴方だからです。
貴方がこの意識の曲がり角にまで辿り着いた時、貴方は神の法だけが行われている(成り立っている)「場所」に入ろうとしてます。
貴方は父と繋がることによって、彼に父権を与え、そして自分の神の息子/娘としての状況を得ることになります。 貴方はもやはそれを拒まなくなったので、それをもう一度享受できるようになります。
こうして聖なる瞬間の中で、意識的な双方向の繋がりが設立されてコミュニケーションが起こります。 すると突然、神の法が再び貴方の意識体験となるのです。
神の法がなされなくなった事はありません。 それは保持され続けてきました。 しかし貴方は神の法がなされている事{それが全てを統治している事}の意識的体験を一旦失ったのです。
そして今、貴方はそれらをもう一度意識的に体験できるようになります。
何が起こったのでしょう? 神との、全てとの一体感(Oneness)が確立されたのです。 「貴方が与えたものを貴方は保持する事ができます。{神の法}」 これは父を離縁する事によって貴方が体験することになった「分離のカオス」(混沌)が, 父と一つになっている事(Unity=統一性)の不変性で置き換えられたと言う事です。
神の法がなされるところに貴方は存在します。 そこに貴方は、自分が神の完全性の表現の権化として永遠にあることを見ます。 そこに病は存在しません。 奇形もなく、死が想像されることもありません。 ダメージや怪我など、貴方が聖なる瞬間の前に体験していた(神の無限性を表さない)如何なる限定性も、もはやそこにはありません。
貴方はもはや年を取ったようには見えません。 もし貴方が112歳まで生きて、死の三分前に、聖なる瞬間を抱きとめたなら、貴方は老衰による影響が全て消えている事を発見します。
貴方は完璧な(バランスの取れた)神の顕示を発見します。 神の顕示とは、神が貴方に成っている(そして今まで成って来た) と言う事です。 それ(神の顕示)が存在するのです。 それが貴方の意識するものに成るのです。 貴方はもやは、死から3分離れた存在ではないのです。 貴方は年を取って老衰することもないのです。
そして完全に自分を意識できるようなれば、貴方は自分が112歳よりももっと古い事を認識するでしょう。 貴方は自分が永遠に生きてきた事を知るでしょう。
上記を読みながら理解するべき事とは、貴方は幻想を放棄してリアリティを受け入れるプロセスにあると言う事です。 貴方は存在を歪めて体験する事を止めて、(創造の真っ只中にいて)創造の聖なる体験を得ます。 そこで貴方はもはや神とは分離されておらず、全てとも分離されていません。 そして神が全てを意識している様に、貴方も全てを(その無限の細部とバリエーションを)意識しています。
そこで貴方は予想されえないものと対峙して、しかし制御できないからと恐れを感じる事はありません。 貴方が「次の瞬間の(無限の)あり様を意識的にデザインしなかったから」と不安になる事はありません。
創造と呼ばれる存在の動きの狭間に、貴方は神と共に座り、完全にパーフェクトなそれを感じます。
我々はシフトについて語っているのです。 それは死によってもたらされるのではなく、「誤解」から「クリアな理解」へのシフトなのです。
我々は、神の子が自分のマインドの誤用を放棄し、彼/彼女本来のマインドの役割を呼び入れて、それを果たし、知覚の急激なシフト、つまり奇跡を体験する事に関して話しています。
この知覚の急激なシフト(sudden shift of perception)には、イボの消滅、視力の矯正、怪我の瞬間完治なども含まれます。
この本は奇跡のコース(A Course In Miracles)と呼ばれているのです。 これは奇跡に関する本で、貴方の日常、貴方の孤児院に関することが書いてある訳ではありません。
ですから投げやりに成るのは止めなさい。 何故なら、貴方は自分の投げやりな/怠惰な態度でもって犠牲を受け入れ、それを強化しているからです。 そうやって貴方は繰り返す死の体験をより強めています。 それは上手くは働きませんが、貴方にもう一度死ぬチャンス/苦しむチャンスを与えようとしています。 すると貴方は体験している事が自分には相応しくないとクリアに認識できず、それを受け入れる必要が無いと認識できず、貴方が正当な憤慨をそれとして感じられず、 それを怒りとして体験してしまうのです。
貴方はそれを(死を)消滅させる必要さえないのです。 貴方はただ、警告サインを認め「失礼。そのご招待はお受けできません。」と言って、それを受け入れる事を止めるだけでいいのです。
「父よ、ここの真理はなんですか? 私は神の子供たちから孤児を募る、孤児院の晩餐に出席する事は止めました。」
注意深くしていなさい。 貴方は色々な方法で死を正当化してきました。 貴方は色々な方法で罪と病を正当化してきました。 そして色々な場面でそれらが尊敬に値すると考えて来ました。 「おお。彼女は聖者に違いない。彼は聖者と呼ばれるべきだ。 彼は全人類のために自分を犠牲にして来たのだ。」
おっと。 貴方はそう聞いて「もしかしたら自分もその様に犠牲を行わなければいけないのかもしれない。 本当はそうしたくないけど。 もしそれ相応の効果があるなら、それをする価値があるかもしれない。 誰かの為に犠牲を払うべきなのかもしれない。」と考えたりします。
「私は神の聖なる子供の地位を少しだけ退いて善行を行いましょう。 そうすれば天国で神の子の隣に座れるかもしれないから」?
しかし、貴方はバスや電車や飛行機で既に神の子の隣に座っています。
何故貴方は死んだ後に、自分が神の子の隣に座っている事を認識出来るようになると考えるのですか? 自分がとてもよく犠牲を払ったから? 違います。
この悪い知らせ{貴方は自己犠牲の上に善行を行っても、より良い人間には成れない}がよい知らせです。 貴方が幻のごほうびを追いかけ続けないようにこれをハッキリさせました。 貴方が「自己犠牲によって何か得られる」と考えるのを止められるように。
貴方は災難に遭いたいとは思っていませんが、それが起こってもあまり驚かないようです{それをそのまま受け入れてしまいます}。 何故でしょう。 貴方がそれに値するからですか? もしかしたら何かのカルマがあるからですか? 「前世で行った事のカルマに違いない?」 貴方は自分には相応しくない事を豊かな想像力で正当化してしまいます。
なぜこの様な事をするのでしょう。 なぜこの様なことに耽溺するのでしょう。 それは貴方が罪(罪悪感)を抱いているからです。 貴方がコミュニケーションを失ってから、罪と恐れがペアで現れるように成ったからです。 ここで言うコミュニケーションとは人と人との意思の疎通ではなく、貴方の源とのコミュニケーションです。 貴方は、貴方と言う存在を作っているものとのコミュニケーションを失ったのです。
そして聖なる瞬間とは、そのコミュニケーションが再確立される事です。
さて、今晩は一文節しか読めませんでした。
この時点で貴方が過激な理想主義が実用的現実主義に成る可能性を信じられなかったとしても、貴方が疑いを抱いている時に最低限それを自覚できるように成りなさい。 今週は、貴方が「過激な理想主義を実用的現実主義にシフトさせる事」を出来ないと感じている時、最低限その事実(自分はシフトを疑っている)を認識できるように成って下さい。
「それってなんか、憂鬱なんですけど。」? そうですね。 貴方がこれを憂鬱と感じているなら、それは貴方が、このレッスンを学ぶキッカケに対してどう対応していいか解っていない事を意味しています。
もし貴方が、自分がどれだけ深く孤児院の状況に自分を埋め込んでいるか気がついたなら、孤児院の中では恐れ/罪/フラストレーション/怒りの表現のが貴方の終わりのない環境であると気がついたなら、今までとは違う方法を試してみる事に価値があると思えるように成るでしょう。
ただ単にポジティブな思考を試すだけでなく、本当に「聖なる瞬間」なるものがあるのか試してください。 「貴方が全てのものに対して与えた意味」を無効にする意思を持ち、全てのものの真の意味に対して好奇心を持って、それを貴方の父から(貴方の正気である精霊から)知りたいと望んだとき、聖なる瞬間が体験できます。
これが最近私が貴方に与えたもっとも強い激励です。
そして貴方が空中浮遊した時には、少しでも宙に浮いたら、「これは今まで体験したことがない。 Raj はきつい事ばっかり言っているけど、私は浮いてるよ。 Rajが言っている事をもっと受け入れよう。」と言ってください。
貴方がどれだけ犠牲を尊んでいたとしても、それは達成され得ません。 貴方は、永遠に何かを達成できずにいる事を体験するために創造されたのではありません。
I Love You.
来週もまたお会いしましょう。 貴方が以前ほど多くを犠牲にはせず、自由をエンジョイ出来る様になり、それ故に私と会う事を楽しみに出来るよう願っています。
訳者注釈 今回の課題
『貴方が「過激な理想主義を実用的現実主義にシフトさせる事」を出来ないと感じている時、最低限その事実(自分はシフトを疑っている)を認識できるように成って下さい。』
違う表現を使うなら
『過激な理想主義でもって貴方の日常を現実的にシフトさせなさい。 日常生活の中で逐一その必要を認め。 もしシフトさせる事が不可能と考えているなら、最低限自分がそう考えている事を認めなさい。』
http://blog.goo.ne.jp/raj-japan/e/a6cd8c2c38f8045c4dd7bbd9b76839be